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1. 星野発電所は今も同じ場所で水力発電をしている。水力発電のほか、温泉廃熱や地中熱で「星のや 軽井沢」の消費エネルギーの約7割を自給している。
2. 1929年に完成した星野発電所。ドイツから輸入した水力発電機は、星野製材所の動力に使っていた木製水車を回して発電した。
3. 軽井沢開発50周年の式典が1936年8月に開催された。明治を思わせる人力車で、旧軽井沢銀座通りでパレードが行われた。
4. カナダ人宣教師のA・C・ショーが見いだした軽井沢は、ずっと外国人に人気を博した。そのため、プールの開設も早く、大いににぎわった。
5. 100年前にも「星野温泉」と書かれた看板があった。現在は、ここから先に「星野温泉トンボの湯」「ピッキオ」「星のや 軽井沢」がある。
6. 大正時代にはかなり希少だった自動車、T型フォードを送迎用に置いた。星野温泉旅館から軽井沢駅までを行き来したという。
歴史の上に現代を紡ぐ
先代たちが築いてきた星野温泉旅館を「星のや 軽井沢」として、再生させた星野社長。長い歴史を持つ旅館を現在のように変えることについて、先代との確執はなかったのだろうか。星野佳路社長に聞いた。
 「先々代は、野鳥保護に力を入れたり、内村鑑三の思想に共感したりと、文化的なものや精神性に重きを置いていました。先代は、日本の高度成長を背景に、観光の産業化の中で、家業を維持し発展させる経営をした人。アメリカ留学もして、向こうのものは全て合理的で素晴らしい、ということが染み付いた世代だったんですね。私が、留学した1980年代半ばは、書籍の『ジャパン・アズ・ナンバーワン』が大ヒットした時代。アメリカに学ぶというよりは、日本のアイデンティティーについて考えた世代です。先々代、先代、そして私と、それぞれ時代背景が違うので、世代間の対立とかギャップは、非常に激しかったですね。敵の敵は味方ですから、僕は祖父の考え方に共感したりもしていましたが(笑)」「星のや 軽井沢」における、自然との共存、環境に配慮した旅館、というコンセプトは、先代たちの思いを受け継いだものなのだろうか。
 「中西悟堂の発想が継起となった野鳥の森、内村鑑三の自然との共存や環境への配慮という発想、さらには水力発電所。滞在者や経営者、影響を与えた人や与えられた人、彼らのアイデアや思想が、私が星野温泉旅館の再生を考えたときには、実際にそこにカタチとしてあったんですね。歴史や今あるものを生かすというのは、リゾートの発展や再生には、とても大事なんです。水力発電所は、最新の地熱による暖房システムに活用しました。野鳥の森は保護する森として残っていたのですが、そこに現代的なソフトを加えてピッキオを作りました。前々からの流れの上に、現代的な改善をしていったというのが、リゾート運営として4代目の私の仕事だったんですね」
 近年、軽井沢では、旧軽井沢や駅付近に集まっていた観光客が、中軽井沢の星野エリアへも多く訪れるようになり、人の流れが変わってきた。星野エリアには、「星のや 軽井沢」を森の中の奥座敷とするようにして、エコツアーを催行するピッキオ、源泉かけ流しの日帰り温泉施設「星野温泉 トンボの湯」、地元の食を楽しめる「村民食堂」、湯川の清流沿いに個性的な店やレストランが軒を並べる「ハルニレテラス」が、緑の中に点在する。さらに、「ホテル ブレストンコート」では、浜田統のり之ゆきシェフを軸に、「ユカワタン」が軽井沢発の美食文化を世界に発信している。星野リゾートは、軽井沢の高原リゾートとしての人気地図を、大きく塗り替えたように思える。

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