歴史を重ね、多様性のある街に
その後、戦後の高度経済成長期に丸の内は大転換期を迎えることとなる。この時期、急激に高まるオフィス需要に応じて、街区をまとめながら大規模なビルの建設が次々と進められた。経済の急成長を牽引する活発なビジネス活動の舞台として、街は飛躍的に機能を高めていった。
その旺盛な市況の陰で、1961(昭和36)年には第三号館が、1968(昭和43)年には第一号館が取り壊され、明治という時代を伝える赤レンガのビルが丸の内からひっそりと消えていった。経済成長に邁進していたこの時期に赤レンガのビルは非効率であり、また老朽化の問題も抱えていた。実際1960年代の仲通りの写真の中で、近代的ビルに囲まれたレンガ製の第一号館は、いかにも肩身が狭そうでかわいそうに見える。丸の内が時代を牽引する街であるのなら、高度経済成長期、赤レンガ建築は姿を消す運命にあったのかもしれない。しかしその後、丸の内はさらなる変化を遂げる。2000年以降の仲通りのショッピングストリート化と丸ビル建て替え、2010年の三菱一号館美術館オープンに象徴される多様性のある街への大転換により、街は確実にパワーアップした。
ショッピング街が生まれた背景としては、1990年代を通じた不況による銀行の統合、それに伴う銀行支店の統廃合による路面店舗の空室出現という事情がある。そこにあえて服飾店や高級ブランド店、飲食店を誘致したことで、丸の内はビジネスセンターとしての機能を保ちつつ、買い物や観光を目的とした客層を引きつける街に生まれ変わった。
そして2009年の第一号館復元、翌年の美術館オープンで、丸の内は強い文化的求心力を獲得するに至った。一度は解体した建物の復元、さらにその美術館としての活用は、丸の内が効率性のみを追求する街であったのなら成し得なかった決断だ。第一号館の復元は、「模範街をつくる」という丸の内の原点が復活したことを明確に物語っている。
なお、これらここ10数年の丸の内の再構築成功のベースにあるのは、街づくりに着手した明治から掲げる「通り全体、あるいはエリア全体の面を意識し、長期的展望で開発する」「ビジョンを共有する」という理念だ。日本に大きな街は多々あるが、丸の内ほどの広い視野と長いスパンで計画を立て、実行する街はない。
岩崎彌之助が見抜いたように、確かに丸の内は日本に欠かせない街として進化してきた。時代の変化が加速する今後も、折々の社会の要請に応えつつ、歴史ある街として独自の成熟を重ねていくに違いない。
その旺盛な市況の陰で、1961(昭和36)年には第三号館が、1968(昭和43)年には第一号館が取り壊され、明治という時代を伝える赤レンガのビルが丸の内からひっそりと消えていった。経済成長に邁進していたこの時期に赤レンガのビルは非効率であり、また老朽化の問題も抱えていた。実際1960年代の仲通りの写真の中で、近代的ビルに囲まれたレンガ製の第一号館は、いかにも肩身が狭そうでかわいそうに見える。丸の内が時代を牽引する街であるのなら、高度経済成長期、赤レンガ建築は姿を消す運命にあったのかもしれない。しかしその後、丸の内はさらなる変化を遂げる。2000年以降の仲通りのショッピングストリート化と丸ビル建て替え、2010年の三菱一号館美術館オープンに象徴される多様性のある街への大転換により、街は確実にパワーアップした。
ショッピング街が生まれた背景としては、1990年代を通じた不況による銀行の統合、それに伴う銀行支店の統廃合による路面店舗の空室出現という事情がある。そこにあえて服飾店や高級ブランド店、飲食店を誘致したことで、丸の内はビジネスセンターとしての機能を保ちつつ、買い物や観光を目的とした客層を引きつける街に生まれ変わった。
そして2009年の第一号館復元、翌年の美術館オープンで、丸の内は強い文化的求心力を獲得するに至った。一度は解体した建物の復元、さらにその美術館としての活用は、丸の内が効率性のみを追求する街であったのなら成し得なかった決断だ。第一号館の復元は、「模範街をつくる」という丸の内の原点が復活したことを明確に物語っている。
なお、これらここ10数年の丸の内の再構築成功のベースにあるのは、街づくりに着手した明治から掲げる「通り全体、あるいはエリア全体の面を意識し、長期的展望で開発する」「ビジョンを共有する」という理念だ。日本に大きな街は多々あるが、丸の内ほどの広い視野と長いスパンで計画を立て、実行する街はない。
岩崎彌之助が見抜いたように、確かに丸の内は日本に欠かせない街として進化してきた。時代の変化が加速する今後も、折々の社会の要請に応えつつ、歴史ある街として独自の成熟を重ねていくに違いない。


(左)東京中央郵便局の保存部分を活用して開業した商業施設、KITTEの吹き抜け。共用部のスペースが広く、訪れる人がゆったりと過ごすことができる。ここから三菱一号館美術館辺りまで地下通路でつながっている。
(右)東京駅の正面にそびえる丸の内ビルディング(左)と新丸の内ビルディングは、丸の内の新しいランドマーク。「丸ビル」「新丸ビル」と呼ばれ、ショッピングの街としても飛躍した丸の内の象徴的存在だ。
(右)東京駅の正面にそびえる丸の内ビルディング(左)と新丸の内ビルディングは、丸の内の新しいランドマーク。「丸ビル」「新丸ビル」と呼ばれ、ショッピングの街としても飛躍した丸の内の象徴的存在だ。