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 その後レンガ造りのビルは、後に街の主軸となる仲通り沿いに北上して延びていった。丸の内のオフィス群は日本における西洋式ビジネスの発展とともに拡張を続け、そして時代が明治から大正に移る頃、新たな飛躍を迎えることになった。
 1914(大正3)年、辰野金吾(たつのきんご)設計の東京駅が開業し、東京の新しい玄関口が誕生する。これに伴い、丸の内オフィス街も東京駅に向かって拡大。ちょうどその頃に米国より新しい技術が導入され、オフィスビルは新工法である鉄筋コンクリート造へと移り変わっていった。丸の内における、近代的オフィスビル時代の到来である。
 その先頭を切ったのは、行幸通りと堀の角にそびえる東京海上ビルディング(1918年竣工)。その後同じく行幸通り沿いに郵船ビルディング(1920年竣工)、そして東洋最大規模を誇る丸ノ内ビルヂング(1923年竣工)が完成すると、行幸通りの景観は「一丁紐育(ニューヨーク)」と呼ばれるようになった。新法規による建物最高高さは100尺( 31m)、それまでの赤レンガ建築を圧する8階建てのビル出現で、機能的な近代オフィス街としていっそう活況を呈するようになる。街の景色も、赤レンガと白いタイル貼りが併存する、変化に富んだ様子へと変貌を遂げた。
「一丁紐育」のシンボル、丸ノ内ビルヂング(1923年竣工)。当時のオフィスビルとしては画期的な試みとして、1階と2階に出入り自由のショッピングアーケードを設け、“舶来品”を扱う話題の店が軒を連ねた。写真提供/三菱地所
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