PAGE...1|2|3|4|5|6|7
これからの日本にこそ欠かせない街
 江戸時代の丸の内は、幕府側近である譜代大名たちの壮麗な江戸屋敷が並ぶ街であった。そして明治維新を経るとそれら大名屋敷は空き家となり、皇居を警護する兵営と練兵場が置かれるようになる。やがて都心に軍備が必要なくなると、より広い敷地のある郊外に軍の機能は移され、丸の内の練兵場は半ば打ち捨てられたような状態に。一方、政府は新兵舎建設のため、その莫大な資金調達方法に頭を悩ませていた。
 時を同じくして、東京市は丸の内一帯を市街化する計画を決定する。これを受け、政府は丸の内の練兵場を払い下げ、その資金を新兵舎建設に充てようと目論んだ。それゆえ、払い下げ価格は周辺の地価ではなく、新兵舎建設に必要な金額を基に算定され、結果、どんな有力財閥でも手が出ないほどの高額に設定されてしまった。政府は購入してくれる財閥を探して奔走したが、引き受ける者は誰もいない。そんな中、「希望通りの価格で購入する」と手を挙げたのが三菱の岩崎彌之助(やのすけ)であった。
PAGE...1|2|3|4|5|6|7
LINK
STYLE
変貌する中国 変貌する建築
>>2009.1.9 update
STYLE
建築家、安藤忠雄が語る
>>2014.4.25 update
STYLE
「歴史と伝統」を体現する 本町ガーデンシティ
>>2010.9.29 update
GOURMET
昭和な京都Part2
>>2016.8.22 update
LIVING
山王の丘の品格ある美邸 プラウド山王
>>2015.1.5 update

記事カテゴリー