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盤座から見えること
宮川さんによると、「奥丹波は全域のっぺりした農村地帯で、裏山の範疇の山が続いているが、一部急峻な岩場があり、そこが信仰の場所として残されている」とのこと。水分れ付近の 部神社も、その一つだ。縁起に「頂上近くに盤座のある剣爾山の前に建てられた」とある。和銅3年(710)創建の古社である。
 丹波の山はどれも木々に覆われていて、岩場と聞いてもピンとこないが、宮川さんによると「実際に歩くと、けっこう岩が多い」という。
 「痩せた土地には他の木が育たないので、赤松が“一人勝ち状態"なんです。だから奥丹波の山は松林が優勢でした。そこへきて、人の力でほぼ伐り尽くせちゃうのが奥丹波の山。人々が裏山感覚で山に入り、薪にする松をどんどん伐って、さらに土地が痩せて松林が広がる、という構図がありました。松茸が大量にとれたのも実は奥丹波が『常に山に人の手がはいる地域』だからなんです」
 その松林が優勢だった丹波の雑木山に、近年になって杉などの針葉樹が植林されるようになった。しかし、もはや杉で商売できない時代だ。山は一種の“無法地帯"と化した。結果的に松茸の収量は減るし、山に食べ物のなくなった猪や鹿が里に下りてくるし、あまりいいことはない。
 「何とか里山を復活させようということは、市でも日常的に話し合われています。ただ解決策が出ない。今がラストチャンスなので、私も奥丹波に魅せられた“入り人"として力を尽くしたいと思っています」
(上)「水分れ」の名が文献に初めて登場したのは200年ほど前に発刊された『丹波志』。「地頭と領家との間に谷川あり。水分れ川という」とある。丹波市の依頼で宮川さんが作成したウェブページ「氷上回廊」(www.tamba-hikamikairo.com)もわかりやすい。
(下)ここ春日町辺りには今も雑木山が残るが、青垣町では植林した杉や檜が8割を超える。丹波は針葉樹林自体を造形的に美しく見せる地域ではないだけに、里山の復活が望まれる。
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