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(左)綾部藩家老の末裔、九鬼隆一男爵が建てた「部神社」の石碑。九鬼の妻・波津子と岡倉天心の恋愛事件は政・官・芸術界の話題となった。
(右)水分れ公園にある本州一低い“中央分水界”。この高谷川の土手に降った雨は、北へ流れると由良川へ注ぎ日本海へ、南へ流れると加古川から瀬戸内海へと注ぐ。
「水分れ」の不思議
日本列島は中央を延々5000㎞にわたって南北に走る山々のライン――中央分水界で真っ二つに分かれる。1000~3000m級の山々の頂上付近を境に、水の流れが日本海側と太平洋側に大きく分かれるのだ。この中央分水界には標高がわずか95mの低地がある。氷上町石生付近の「水分れ」と呼ばれる、本州内陸部で最も低い中央分水界である。
 ここに雨が降ると、水が二手に分かれる。一方は日本海に注ぐ由良川へ、もう一方は瀬戸内海・太平洋へと続く加古川へ流れていく。山ならば何の不思議もないが、これが低地帯で起こるのだから奇怪である。二つの川に沿って田園風景が広がるこのありふれた細長い低地帯が、あたかも日本海と太平洋を結ぶ一つの道のように見える。宮殿や寺院の回廊になぞらえて「氷上回廊」と呼ばれる所以だ。「人間を含むさまざまな生き物が行き交う」縮図がここにある。
 「水分れ付近を流れる高谷川は大昔、天井川のようになっていて、大雨が降るたびに山の土砂をどんどん運びました。その土砂の加減で右・左どちらかに分かれる。やがて高谷川が自然堤防になって、日本海側と太平洋側の二つの水の流れを形成した、という感じですね。高谷川が青垣町の方から流れてくる佐治川(加古川)とぶつかる辺りは、しょっちゅう洪水を起こしました。辺り一面水浸し状態だったでしょう。エジプトと同じで、度重なるその洪水のおかげで土が肥え、奥丹波一帯でおいしいお米がとれるようになったのです。中には『汁田』と呼ばれる粘土質の水はけの悪い田んぼもあって、日照りには強いけれど、扱いは大変。農機具メーカーでは、丹波と新潟県の南魚沼の田んぼが“厄介な"地域だそうで、ここで動けば全国どこの土も耕せる“合格"を出す、という話を聞いたことがあります」
 向山連山の展望台から低地を眺めると、右に春日町に向かって広がる由良川水系の水田地帯、左に加古川水系の水田地帯が開けている様がよくわかる。洪水と水分れと田んぼの織り成す関係が、米蔵・奥丹波を形成していったのである。
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