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山石部神社
古社山石部神社。この辺りのご先祖、山石部の民は大きな岩を使って、古墳や田んぼを造る土木工事が得意な人たちだったという。後世、山石部神社にはいろいろな神様が招かれ、氷上町石生の人たちの守り神としてお祀りされている。

(左)宮川五十雄(みやがわ・いそお) 環境コンサルタント
京都大学大学院人間・環境学研究科修士課程修了。専攻は生態学。建設コンサルタント会社の動植物調査技師、環境分野専門の人材派遣会社の営業、環境企画などに約8年間従事。2008年からフリーランスの環境コンサルタントとして活躍中。現在、「財団法人兵庫丹波の森協会」研究員、「生物多様性かんさい」代表世話人、「NPO森の都研究所」代表を務める。

(右)神田裕行(かんだ・ひろゆき) 元麻布「かんだ」店主
大阪、パリでの修業後、1991年から小山裕久氏が料理長を務める徳島の料亭「青柳」へ。2004年に東京・元麻布に日本料理「かんだ」をオープン。2009年からは、日本の食料自給率の向上のために何かしようと、“日本の食の未来を考える”NPO法人「FUUDO」を立ち上げ、新潟県南魚沼での米作りや、旬の食材を学ぶため産地への視察といった活動もしている。
都を支える巨大な「一等国」
「丹波は京都の朝廷にとって、亀岡や篠山という城下町の背後に広がる豊かな懐深い土地でした。その奥深さ自体が朝廷を支えていた。米がたくさんとれる穀倉としての価値だけでなく、脅威となる日本海の方の勢力を牽制する意味でも、要になるポジションですよね。しかも交通の要衝です。出雲から都へ抜ける通り道ですし、瀬戸内の物産の中には、淀川ではなく加古川ルートで都に運ばれるものもありました。それゆえに文化がごちゃ混ぜ。丹波中のあちこちに、出雲系やら京都・奈良系やらの神社仏閣の分社があるのは象徴的ですね。また、さまざまな地域を連想する苗字があることから、各地の有力者が丹波に領地・荘園を有していたことも推測できます。今も旧6町に集落単位の思考回路があるのはその名残。豊かさと多様さを維持している理由でもあると思います。このように昔から人が住み、人が行き交う丹波は朝廷にとって近くに控える『一等国』だったわけです」
 実際、朝廷は丹波を“特別扱い"しており、宮中でも一番偉い人が赴任する場所と格付けていた。奈良時代にすでに氷上に都の出張所があり、都の勅使が頻繁に通っていた様子。都に繋がる数本の街道に加えて「雨で平野部を通れない時のために「日出道(秀でた道)」というルートがあった」そうだ。都と深くつながっていた証と言えよう。
 このことは、奥丹波においしいものが多いこととも関係する。なにしろ“朝廷の食事"を再現するようなものだから、品質の高い食材を供さなければならない。もともと肥沃な土やきれいな水、朝晩の寒暖差など、作物に良い影響を与える要素が揃っていて「何を作ってもおいしくできる」土地ではあるが、いっそうの品質向上を目指して努力を続けたに違いない。
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