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古く日本書紀によれば、若き神武天皇が、吉野川の上流、国く栖ずから大和を目指して戦を進め、窮地に陥った時に、川魚で進路を占い、結果、見事勝利を収めた。その川魚が鮎だったことから、魚偏に占うと書いて鮎、という話が伝わっている。
 それを裏付けるのが、歴代天皇の即位式に立てられる〈万ばん歳ぜい旗ばん〉。この旗はたに描かれているのは酒瓶と五匹の鮎。これは神武天皇の夢に出てきた神のお告げ〈天の香具山の土で酒瓶を作り、酒を入れて丹に生う川がわに沈め、魚が浮けば大和を平定できるだろう〉からきている。これによって鮎は国く栖ず魚うおと呼ばれるようになり、皇室との縁は今も深い。
 一方で、日本書紀よりも少し前の古事記ではすでに、アユ、もしくはアイと呼ばれていたようだから、呼び名としてのアユにはどうやら、疑問を挟む余地はなさそうだ。
 身近な川に棲す む鮎は、その気品ある姿からか、古代より神殿に供えられ、すなわち〈饗あへた〉ことから、アエ、もしくはアユと呼ばれるようになった。ここまでは確かなことだろう。
 だが、魚偏に占う、は僕にはいくらか疑問が残る。
 今も時折ニュースになるが、何らかの原因で鮎が大量死して、川面に浮かぶことがある。それはしかし吉兆だとはとても思えない。
 日本書紀と結び付けて、無理やりこじつけたのではないか。この通説は今ひとつ説得力に欠けるなと思っていた僕は、ある時はたと気付いた。鮎の旁つくりは占うではなく、占しめるではないかと。
 占有する、すなわち場所を占めるという意味と捉えたのだ。そしてそう考えれば、実に納得のいく字であることが分かった。
 そのことに気付いたのは、10年以上も前、解禁間無しの鮎釣りに挑戦していたときのことである。
 鮎は川自慢。おらが川の鮎が一番だと皆が自慢し、他の川と競い合う。清流を多く擁する高知県では、毎年その質を競い合う。ある年ナンバーワンに輝いた安田川で、解禁直後に出掛け、釣り糸を垂れた。
 普段から釣りなどしたことのない者が鮎釣りに挑んでかなうわけがない。1時間経っても2時間を越えても、釣れるどころか、ウキはぴくりとも動かない。
 「ポイントを外しとるけえ」
 朝から何匹も釣り上げている地元の釣り師が僕に向かって言う。
 「なんで友釣りしとるか分かっちょるんかいな」と続け、
 「縄張りを張っとるとこに泳がさんとあかんぜよ」
 そう教えてくれ、その時僕ははたと気付いた。鮎という魚は、川の一部をそれぞれが占有しているのだと。
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