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(上)2階から窓越しに鶴舞園を眺めて。窓の格子やガラス、手摺も大正時代のもの。
(下)この石灯籠をのぞいて、異なる趣での鳥海山を楽しんだ。
本間美術館を訪れた者は、館内に入る前に、まず館の佇まいに心を奪われることだろう。高雅な気配を漂わせるこの美術館は、元は本間家の別荘であった。
 酒田に多数生まれた豪商の中でも、本間家は「日本一の地主」とまでいわれ、莫大な富と権力を持つ名家だ。江戸時代には、藩財政の立て直しに携わったり、飢饉の折に備蓄米を人々に提供したりなど、地域社会にも多大な貢献をしていた。商人・地主という立場を超え、庄内地域にかなりの影響力を持っていたことがうかがい知れる。
 この本間美術館も、太平洋戦争後に沈んだ酒田の人々の心を励まそうと、所有する別荘を開放して造られた戦後初の私立美術館である。所蔵品2300点の中心は本間家寄贈の古美術品で、東北諸藩からの拝領品と、北前船によって運ばれた品々である。「伊勢物語」や「藤原定家筆消息」といった国の重要文化財をはじめ、県や市の重要文化財に指定されている作品も多い。
 本間美術館にはもう一つ偉大な“美術品"がある。それは、鳥海山を借景にした日本庭園「鶴舞園」だ。今では日本名園の一つに挙げられるこの庭園が造られた背景には、実は公共事業的な意味合いがあるという。文化10(1813)年、本間家4代目光道は、港で働く者たちの冬季失業対策として、この地に砂を運ばせた。そこからさらに改造を加えて完成したのが、この鶴舞園といわれる。
(上)庭園から清遠閣へ出入りするための門。清遠閣の玄関口には、車寄せもある。
(下)美しい形にくりぬいた、かつての職人のワザが光る門扉。
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