
「生命は自然と人間社会を循環する」という思想から形成される御嶽林。赤崎御嶽の御嶽林を抜けて海に出る辺りにもイビがたたずんでいた。
自然とともに
御嶽には「領域内に生える植物を切ってはならない」というタブーが存在する。たとえ土地開発が入っても、敷地内に御嶽があれば植生も含めて破壊してはならない。それにより、中には「御嶽林」と呼ばれる、草木が生い茂るに任せた森林を擁する御嶽もある。平良字荷川取の「カーニ里御嶽」や下地字与那覇の「赤崎御嶽」はその典型だ。林を分け入った所にぽつねんとある御嶽を前にすると、自然とともに生きる宮古人の心が身に染みる。
御嶽というのはタブーが多い。「字内での結婚しか認めない」「住居を移動してはいけない」といったものもあったし、今でも祭りの日以外の立ち入りを禁じている御嶽が少なからず存在する。宮古島から海に架かる橋を渡ってすぐの池間島にある「おはるず御嶽(大主神社)」がそう。ここは宮古島に住む人々の運命を司る神が祀られている。参拝者は、第一の鳥居の前で靴を脱ぎ、裸足で第二の鳥居に向かって100mほどの参道を進む。その先が神願いの場所で、約50個もの香炉が置かれているそうだ。敬虔な祈りの中で安らぎを得ると同時に、神とともに過ごして村の繁栄や豊穣、家族の健康と守護を祈り祝う御嶽の祭りは、今も変わらぬ宮古島の御嶽信仰の厚さを“形"として見せてくれる。
創世神話、自然の恵み、神と崇められる偉人……多彩な信仰の対象を持つ御嶽を始め、暮らしの中心にあった「うりがー」や、祖先崇拝の象徴である有力者の墓などを訪ねた今回、そこに「宮古島の生まれたままの姿」があると実感した。
御嶽というのはタブーが多い。「字内での結婚しか認めない」「住居を移動してはいけない」といったものもあったし、今でも祭りの日以外の立ち入りを禁じている御嶽が少なからず存在する。宮古島から海に架かる橋を渡ってすぐの池間島にある「おはるず御嶽(大主神社)」がそう。ここは宮古島に住む人々の運命を司る神が祀られている。参拝者は、第一の鳥居の前で靴を脱ぎ、裸足で第二の鳥居に向かって100mほどの参道を進む。その先が神願いの場所で、約50個もの香炉が置かれているそうだ。敬虔な祈りの中で安らぎを得ると同時に、神とともに過ごして村の繁栄や豊穣、家族の健康と守護を祈り祝う御嶽の祭りは、今も変わらぬ宮古島の御嶽信仰の厚さを“形"として見せてくれる。
創世神話、自然の恵み、神と崇められる偉人……多彩な信仰の対象を持つ御嶽を始め、暮らしの中心にあった「うりがー」や、祖先崇拝の象徴である有力者の墓などを訪ねた今回、そこに「宮古島の生まれたままの姿」があると実感した。