
海に突き出たドゥブロブニク旧市街。要塞化された都市国家・ラグーサ共和国の遺構をほぼ完璧に残す。旧ユーゴ内戦においては市街戦時の砲撃により深刻なダメージを被ったが、国を挙げての修復プロジェクトにより復興しユネスコ世界遺産にも復帰した。
現在、ドゥブロブニク旧市街はユネスコの世界遺産に登録されている。まとまった形で残る街並としては、欧州最大規模の内容だ。有史以前、この地域にはイリュリア人と呼ばれる民族が定住し、農耕や製鉄を営んでいたということが研究によって証明されているが、詳しいことは解っていない。他の地中海沿岸地域と同様、ローマ人の侵出によってラテン化されていく過程で、ダルマチアという現在までつづく地方名も定着した。この時代に、ラグシウムというラテン名で都市としてのドゥブロブニクが歴史に初めて登場している。ナポレオンの遠征によって解体するまで都市国家として存在したラグーサ共和国の語源である。ちなみに1954年のトリエステ自由地区消滅まで、アドリア海東岸の政治的イニシアチブを握っていたイタリアにおいては、今日でもラグーサがドゥブロブニクを指す正式な都市名である。