
約 500 頭の鹿は、宮島の先住者の子孫たち。“新参”の人間は彼らを大切にし、野生本来の姿で伸び伸び暮らせるよう配慮している。鹿たちのつぶらな瞳に出会う時、ここが「神々とともに生きる島」である思いを新たにする。
平家一門の権勢が増すにつれて、世に広く浸透していった宮島信仰だが、平家が壇ノ浦に沈んだ後も、鎌倉・室町幕府が篤く庇護。祭礼・法会に参集する参詣者が増えていった。そうした中で「神職や僧侶であっても、島に渡るのは祭祀の時のみ」という禁制が徐々に解け、人が住み始めるようになったことにより町が形成されたという。さらに、交易・商業都市、瀬戸内海の要衝をなす港湾としての性格が加わり、「神の島」は大きく変貌していったのである。鹿たちとすれ違いながら島内の小路をぶらり歩くと、五重塔、千畳閣、大願寺、清盛神社等の点在する寺社や、町屋風の家々、山裾を覆う五種の紅葉などが、遥かな時を超えて宮島の歴史を語りかけてくるようだ。