
文明化としての森林の征服を成し遂げた後、欧州人にとっての森林は消費及び産業生産の対象に変容した。国家規模での戦争が頻繁に行われる時代になると、造船のために大量の木材が切り出され原生林の消滅に拍車が掛けられた。ちなみに英国らしい風景としておなじみの丘陵地帯は今日、主に牧草地として利用されているが、これらはもともと広葉樹が茂る森林であった。バイキングがブリテン島に襲来して以降、北欧では入手困難なブナやカシなどの堅い木材が船舶材として重宝されたため、英国の森林は切り尽くされ丘陵に姿を変えてしまったのだ。
欧州の文明は、歴史上かなり早い段階から森林を消費することで発展してきた。家庭用燃料や加工材としての用途はもとより、軍艦の建造、金属の精錬など、国家規模で森林資源の消費が増大すると、ついにはその再生能力を超過する事態となった。植林という概念が生まれたのもこのような切迫した理由からだ。ただし植林という人為的な森林再生は、そこからもたらされる利益を念頭に置いた行為であったため、欧州の植生帯には相当な変化が生じる結果となった。
欧州文明の先駆けとなったギリシャやローマの地中海地方では、オリーブやブドウが原生林に取って代わった。時代が下り森林資源を多用途に消費するようになると、ブナやカシなど、成長の遅い広葉樹の植樹は特化した用途がない限り敬遠され、代わって成長の早いマツやスギ、モミといった針葉樹が趨勢を占めるようになり現在に至っている。欧州の代表的な森林として知られるドイツ南部のシュバルツバルト(黒い森)も、中世初頭までは広葉樹が大半を占める「白い森」であったと言われている。
今日、国土に占める森林の割合を国別に比較すると、最もその割合が高いのがフィンランドの69%、次いでスウェーデンの58%。逆に割合が低いのがオランダと英国の8%である。伝統的に営林を国家的計画の一部門として、森を管理し伐採と再生を調整してきた前述の北欧2カ国はもとより、フォレスターと呼ばれる森林管理官を公務員として雇用するドイツなどでは、「産業資源としての森林」という伝統的な思想から脱却した「共存する存在としての森林」の在り方を構築中だ。こうした動きの原動力になっているのが、生物多様性の保全であることは明確だ。1970年代以降趨勢となったこの流れは、欧州文明全体にとっても大きな転回点の意味を持つ。文明の発祥以来、常に征服の対象だった欧州の森林は、数千年の時を経てついに共存の対象となりつつあるのだ。この試みの結論が導かれるのは22世紀になってからのことだろう。
欧州の文明は、歴史上かなり早い段階から森林を消費することで発展してきた。家庭用燃料や加工材としての用途はもとより、軍艦の建造、金属の精錬など、国家規模で森林資源の消費が増大すると、ついにはその再生能力を超過する事態となった。植林という概念が生まれたのもこのような切迫した理由からだ。ただし植林という人為的な森林再生は、そこからもたらされる利益を念頭に置いた行為であったため、欧州の植生帯には相当な変化が生じる結果となった。
欧州文明の先駆けとなったギリシャやローマの地中海地方では、オリーブやブドウが原生林に取って代わった。時代が下り森林資源を多用途に消費するようになると、ブナやカシなど、成長の遅い広葉樹の植樹は特化した用途がない限り敬遠され、代わって成長の早いマツやスギ、モミといった針葉樹が趨勢を占めるようになり現在に至っている。欧州の代表的な森林として知られるドイツ南部のシュバルツバルト(黒い森)も、中世初頭までは広葉樹が大半を占める「白い森」であったと言われている。
今日、国土に占める森林の割合を国別に比較すると、最もその割合が高いのがフィンランドの69%、次いでスウェーデンの58%。逆に割合が低いのがオランダと英国の8%である。伝統的に営林を国家的計画の一部門として、森を管理し伐採と再生を調整してきた前述の北欧2カ国はもとより、フォレスターと呼ばれる森林管理官を公務員として雇用するドイツなどでは、「産業資源としての森林」という伝統的な思想から脱却した「共存する存在としての森林」の在り方を構築中だ。こうした動きの原動力になっているのが、生物多様性の保全であることは明確だ。1970年代以降趨勢となったこの流れは、欧州文明全体にとっても大きな転回点の意味を持つ。文明の発祥以来、常に征服の対象だった欧州の森林は、数千年の時を経てついに共存の対象となりつつあるのだ。この試みの結論が導かれるのは22世紀になってからのことだろう。