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スヘルデ川を背に聖母大聖堂を望む。
それまで、アントワープは北海から30㎞も内陸に遡った地点に位置するため、16世紀のオランダ独立戦争の際、ネーデルラントが戦略的な政策として河口を封鎖し、ボトルネックを押さえられた死港となっていた。河口封鎖解除をきっかけにして、アントワープは近代的な工業化へと舵を切ることになった。その原動力となったのは、疑いもなく、コンゴという植民地獲得と対を成す。現在のコンゴ民主共和国に該当する地域がそ
れであるが、正式には植民地ではなく、国王レオポルド2世の個人所有財産という位置付けであった。
コンゴからもたらされる富、特に原料ゴムの世界的な需要急増という要因も手伝って、ベルギーは急激な富裕化に転じる。ブリュッセルの王宮建設、アントワープにおいては中央駅建設等、大規模かつ国家事業的な建設が相次いだのもこの時代だ。
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