


グーテンベルクの36行の聖書といった貴重な資料も多数展示する同印刷所は、2001年に記録文書が世界の記憶遺産、2005年は家屋・工房・博物館複合体が文化遺産に認定。知を伝播する新しいメディアとして印刷産業が順調に発展を遂げ、出版社も兼ねる欧州きっての文化サロンとなった。政治家や芸術家が集ったとされ、中でもルーベンスは印刷所の公式下絵画家も務めるほどに密接な関係を築いたという。現在も博物館内の大客間には、ルーベンスによる油絵の数々が往時を偲ぶように展示されている。
プランタン=モレトゥス印刷博物館 Vrijdagmarkt 22-23 2000 TEL +32(0)3 221 14 50
プランタン=モレトゥス印刷博物館 Vrijdagmarkt 22-23 2000 TEL +32(0)3 221 14 50
敬虔なカトリックであったプランタンではあったが、彼はもうひとつの顔を持っていた。Homo Plebeius-ラテン語でいうところの『平民』であったという出自だ。宗教関係者、学術関係者はすべてラテン語を公用語とし、出版物も当然すべてラテン語という時代、プランタンは意図してオランダ語を話し、自らを『民の人』と公言してはばからなかった。この平民としてのアイデンティティが、オランダ語による出版を決意させた。これは、その後のアントワープが辿る歴史的な運命の一遠因にもなるが、まずは、当時のアントワープが置かれていた地政学的な状況に注釈を加えたい。当時、ベルギーという国家は存在しておらず、アントワープはスペイン・ハプスブルク家が支配する地域であった。そのスペイン王家の財政基盤を成していたのが、アントワープであり、さらに大きな地域としてのネーデルラントだ。スペイン王フェリペ2世が戦費調達を目的とした重税を、ネーデルラントの商活動にかけたため商工業者の反発を招き、さらには宗教改革の波も相まって、ネーデルラントは独立運動へと一気に突き進むことになった。