





1 首里城には王の象徴とされた龍が33体棲む。泰平の時代に再建されたため、軍備より政治の中心としての役割が強く、装飾的だ。 2 内金城嶽境内に立つ首里金城の大アカギ。かつて城の内外にも同様のアカギが生育したが、沖縄戦で焼失し、6本のみが残された。 3 首里城にて。一見すると中国の影響が強いように感じられるが、構造や細部の意匠には日本の建築様式も取り入れられている。 4 金城町を流れる仲之川。水質水量ともに優れ、琉球王朝時代の日照りの折には首里城内の御用水としても用いられた。 5 首里城の風景。王が居住する宮殿も兼ねていたため、城壁内に数多くの施設が建てられ、随所に広場や信仰上の聖地が見られる。 6 内金城嶽で祈りを捧げる人。かつて村人が通る度に霊気に打たれたことから拝所が置かれ、神々と王府との交流の場となったという。
三山時代から琉球は、中国・明に臣下の礼をとり、定期的に朝貢する冊封関係を築いた。中国とのつながりは深く、江戸時代に入り、薩摩に侵入されて日本の幕藩体制に組み込まれてからも、表面的には王国としての形を残され、中国との冊封関係を続けている。この頃、琉球の支配者たちは、日本と同化するのではなく、むしろ中国文化を積極的に取り入れたという。中国と日本、2つの国に従属し、その狭間で揺れながら、独自のアイデンティティを保つ道を模索していたのであろう。
数度にわたり焼失し、再建が繰り返された首里城には、その建築様式や装飾に中国と日本の強い影響が見られる。また、祭政一致の政策がとられた琉球独特のものとして、城の中に聖地や拝所を有しているのも特徴だ。正殿だけでなく細部まで見て歩くと、復元された煌びやかな城の背景に、他にはない、独自の歴史を築いた沖縄の姿が透けてくる。
数度にわたり焼失し、再建が繰り返された首里城には、その建築様式や装飾に中国と日本の強い影響が見られる。また、祭政一致の政策がとられた琉球独特のものとして、城の中に聖地や拝所を有しているのも特徴だ。正殿だけでなく細部まで見て歩くと、復元された煌びやかな城の背景に、他にはない、独自の歴史を築いた沖縄の姿が透けてくる。