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1 1900年代初頭に撮影された、写真で呼び寄せられた花嫁たち。2万人以上がこうしてハワイに。実際は相手も生活も聞いていたものとは大きく違ったようだ。
2 夜になると、レストランには田舎風のネオンサインが鮮やかに灯る。辺りが暗いだけにどこかシュールな印象を与える。
3 南部さんによる商店だったのだろう。現在、1階には南部家とは異なるカフェなどが入っていた。
1860年代後半から始まったハワイのサトウキビ農園への日系移民は、1924年になると22万人を超え、農園労働者の7割を占めるようになった。3年も働けば金持ちになれる、という謳うたい文句とは裏腹に、奴隷のような過酷な生活を強いられたという。
 中でもハワイ島では溶岩の土壌を耕しての農作業に多くの日本人が送り込まれた。アジア人の中でも勤勉な日本人が、白人の農園主には使いやすかったのだろう。
 サトウキビ産業は20世紀後半から、より人件費の安い諸国へ移り、最後のサトウキビ農園は1970年に閉鎖。ハワイ島の日系人は、東岸に島で第二となる人口4万人、ヒロの町を築いた。日本の田舎町を彷彿(ほうふつ)させるが、他の小さな村や集落にも、随所に日系人の足跡が残されている。
 例えば、カメハメハ大王の生誕地のある、ノースコハラ。島を一周する道沿いに、旅行者を魅了するようなかわいらしいノスタルジアあふれるビレッジが点在する。その一つ、ハヴィは、昔の木造建築が修復されたレストランやカフェ、ギャラリー、土産物店、あるいは地元の日用品店が立ち並び、看板の多くに日本語が見られる。人口1000人、3割がアジア系で、その多くが日系だ。
 かつて「タカタ商店」だったレストラン「バンブー」は、ハヴィ自慢のハワイアンフユージョンのレストラン。ハワイ島での人気は高く、吹き抜けのしっかりした木組みの天井、2階へ続く中央階段が印象的な建物だ。現在、タカタ商店は地元で大きなスーパーマーケットを経営している。
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