


1 北原白秋の生家の近くにたたずむ矢留大神宮。拝殿の左右には、掘割や川が入り込んでいるように立つこの神社は、平家の落人6人が造営したとされる。2 矢留大神宮の「お手洗い場」は、川に入って身を清められる造りになっている。3 筑紫橋から沖端川河口までが沖端漁港。両岸には、漁船が数多く係留されている。
柳川名物・川下り
柳川が知名度を全国的に上げるきっかけとなったのが、北原白秋の少年時代を描いた映画『からたちの花』だろう。1954年公開のこの映画は、長谷川健の小説を八住利雄が脚色し、佐伯清が監督した。出演者は、北原隆、牧真介、桂典子、雨宮節子といった日活ニューフェイスたち。今となっては、柳川の代名詞ともなっている「川下り」は、作中に登場する川遊びを、街の有志が川下りとして舟を運行したのが始まり。そして、川遊びの舞台となった「料亭松月」は、現在、川下りの舟を運行している柳川観光開発の本店であり、ここが“元祖"だという。
柳川の川下りは、どんこ舟と呼ばれる小舟に旅人を乗せ、饒舌(じょうぜつ)な船頭さんが解説付きで掘割を案内してくれる。途中、頭をすりそうな橋をくぐったり、白秋の「待ちぼうけ」や「柳川音頭」を歌ってくれたりと、楽しく優雅な船旅だ。今やこの光景は、柳川のイメージそのものである。
掘割沿いに柳の木が並び、か細い枝々がそよ風にゆらめく、柳川。その傍らを、どんこ舟がゆっくりと優雅に往来する。この風情ある光景が訪れる者を「ゆつら~っと」と穏やかな気分にさせてくれる。
時をさかのぼって戦国時代。この辺りは筑後国の一族、蒲池氏が代々勢力を持っていた。その中に舞が好きな殿様がいたため、柳川の隣、瀬高町の大江には、戦国武将が愛した「幸若舞(こうわかまい)」が残っている。白秋も「立烏帽子袴長引き小刀素袍の袖ぞ張って舞ひつゝ(たてえぼしはかまながびきちいさがたなすおうのそでぞはってまいひつゝ)」と短歌に詠んだ、この舞を見に大江へ足を延ばした。