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「無藝荘」は、かつて蓼科のにぎわいの中心だったプール平に、そのまま保存移築された。周囲には、小津が通ったという「万葉堂」や「信州そば処 三五十屋」といった老舗が健在だ。
地酒「ダイヤ菊」を100本
日本映画全盛期の“映画人"らしい、酒にまつわる逸話も残っている。小津と野田は、作品の構想から脚本を仕上げるまでの約3カ月間、蓼科の仕事場に滞在したが、脚本を1本仕上げる間に地酒「ダイヤ菊」(一升瓶)を100本以上も空けたという。小津が野田に「ダイヤ菊100本飲みましたが、まだ映画が完成しませんね」と話すなど、完成までのバロメーターにしていたという話もあるほど。ものすごい愛飲ぶりである。
 小津は蓼科に人を呼ぶのも好きだった。蓼科を訪れてから2年後には、昭和初期に製糸業で富を築いた片倉家の別荘「片倉山荘」を借りて「無藝荘」と命名し、東京からの客人を接待するための“迎賓館"とした。
 また1957年6月29日にはこんな記述もある。「五時半蓼科に雲呼荘着到。一浴ののち食堂にてダイヤ菊を汲む。すべて去年のまゝ也。郭公、鶯、杜鵑 こゝだになきて 白雲徂徠。げに今宵より またしても晴眠雨睡のくらしの始まる。はじまり、はじまり 東西 東西……」
 東京から蓼科にやってきた小津が地元の食堂に入り、まずダイヤ菊を飲む。ここでの“晴眠雨睡"の生活を心待ちにしている“わくわく感"が伝わってくる文章だ。
今年から「小津の散歩道」という案内板を立て、約4㎞の道のりをたどれるようにした。“地元の人たち”の協力を得て管理している。
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