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「最初はあんまり結婚に乗り気ではなかったようです。紫式部はお父さんが越前守になった時、くっついて行ったんですが、それもちょっかいを出してくる宣孝から逃れたかったからだと言われています。でも宣孝は、都からいっぱいラブレターを送るんですね。やれ歌会があった、やれすごいごちそうを食べたと、紫式部の都に対する里心を刺激するように。越前は暗いし、寒いし、都のような文化もないでしょう? それで1年で都に帰り、宣孝と結婚したんです。女の人って好ましくない環境にいると、今までアカンと思ってた男が良く見えてくるらしいね」
 なるほど、そういう経緯があったのか。朧谷氏はまた、「地方生活を体験したことは、紫式部の見聞を広める上で、非常に役に立った」と言う。「王朝の女性作家はほとんど、受領の娘ですよ。都から地方へ行くのは、世界旅行をするイメージですから、都しか知らない人よりはずっと博識なんですね」とのことだ。
嵯峨野の山里は今も夜になると漆黒の闇の中。
十八帖「松風」で光源氏は、この辺りに建てた御堂での念仏講などを口実に月に二度ほど、近くの大堰川の屋敷に住む明石の上を訪ねた。
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