
大 浦 天 主 堂
1865年に建立された長崎市に立つ教会堂。1933年に国宝となるが原爆で被害を受け、1953年に日本最古の教会堂として再度指定。
1865年に建立された長崎市に立つ教会堂。1933年に国宝となるが原爆で被害を受け、1953年に日本最古の教会堂として再度指定。

多彩な食材が海を渡って長崎へ
Photo Masahiro Goda Text Junko Chiba
“自然の力”をうまく引き出して工夫
トマト、タマネギ、ジャガイモ、ニンジン、アスパラガス、ナス……。どれもよく店頭で見かけ、食べる食材だ。現代の食生活に浸透しているこれらの野菜は、どれも最初に伝わったのが長崎だとされている。
それもそのはずである。日本本土の西端に位置する長崎は、東京よりも中国大陸のほうが近い。1550年のポルトガル船の入港後、平戸が国際貿易港として栄えるが、それ以前から大陸や南方との交流があったと考えられる。さらに日本が鎖国していた時代にも、唯一海外に開かれていた場所だからこそ、こんなにも多彩な食材の“伝来地"となっているわけだ。こうして海を渡って長崎に伝わった野菜や果物は、長崎から京都、東京へと続く長崎街道(シュガーロード)を通って各地へ伝わり、全国で栽培されている。
海を渡って長崎に伝わった多彩な野菜や果物。ビワのように長崎の気候・地形に適し、今でも生産量トップの産物もあるが、そうでないものは、温暖な環境をうまく利用し、耕作地が狭いからこそのさまざまな工夫で、安心・安全で良質な野菜が都市圏へ送り出されている。
それもそのはずである。日本本土の西端に位置する長崎は、東京よりも中国大陸のほうが近い。1550年のポルトガル船の入港後、平戸が国際貿易港として栄えるが、それ以前から大陸や南方との交流があったと考えられる。さらに日本が鎖国していた時代にも、唯一海外に開かれていた場所だからこそ、こんなにも多彩な食材の“伝来地"となっているわけだ。こうして海を渡って長崎に伝わった野菜や果物は、長崎から京都、東京へと続く長崎街道(シュガーロード)を通って各地へ伝わり、全国で栽培されている。
海を渡って長崎に伝わった多彩な野菜や果物。ビワのように長崎の気候・地形に適し、今でも生産量トップの産物もあるが、そうでないものは、温暖な環境をうまく利用し、耕作地が狭いからこそのさまざまな工夫で、安心・安全で良質な野菜が都市圏へ送り出されている。