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(上)細部にまで徹底的にこだわり抜いたオリジナルのスーパーカー「オロチ」。(下)光岡自動車のクルマは全て富山県の工場で、職人の手作業によって作られる。

ほれてくれた人に
作るクルマ
作るクルマ
Text Nile’s NILE
1968年の創業以来、「とことんクルマを愛する」という姿勢を貫き通す光岡自動車。常に進化しながらも変わることのない信念が、多くの人を引き付ける。
当時、日本の自動車製造業界は経済成長と共に規模を拡大し、大手自動車メーカーが地位を確立。新規企業に参入の余地はないと考えられていたが、光岡自動車の創業者で現会長を務める光岡進氏は、「クルマが好きだから」という思いだけで、その常識を覆した。
しかし、国から自動車メーカーとして認定されるまでの道のりは長く、数々の困難を乗り越えなければならなかった。ようやく許可を得たのは、かの本田技研工業が自動車メーカーとなってから31年を経た1994年。新規企業の参入が不可能と思われた自動車製造業界で、日本10番目の乗用自動車メーカーが誕生した。
光岡自動車のクルマが生産されるのは、富山県にある工場。フレーム溶接からボディーの磨き上げまで、全て手作業で行われるというから驚きだ。受注生産で月間わずか50台。40人の職人が丁寧に作り上げるクルマは、「1000人のうち1人いるか分からないけれど、心からほれてくれた人のために全力で作り続けるだけです」という光岡氏の思いを、まさに体現している。
大量生産による効率化で利益を追求するのではなく、自分たちが本当に信じられるものだけを心を込めて作り続ける。この光岡自動車の揺るぎない信念が、日本のものづくりの原点を思い出させてくれる。
●光岡自動車
0120-65-0022
当時、日本の自動車製造業界は経済成長と共に規模を拡大し、大手自動車メーカーが地位を確立。新規企業に参入の余地はないと考えられていたが、光岡自動車の創業者で現会長を務める光岡進氏は、「クルマが好きだから」という思いだけで、その常識を覆した。
しかし、国から自動車メーカーとして認定されるまでの道のりは長く、数々の困難を乗り越えなければならなかった。ようやく許可を得たのは、かの本田技研工業が自動車メーカーとなってから31年を経た1994年。新規企業の参入が不可能と思われた自動車製造業界で、日本10番目の乗用自動車メーカーが誕生した。
光岡自動車のクルマが生産されるのは、富山県にある工場。フレーム溶接からボディーの磨き上げまで、全て手作業で行われるというから驚きだ。受注生産で月間わずか50台。40人の職人が丁寧に作り上げるクルマは、「1000人のうち1人いるか分からないけれど、心からほれてくれた人のために全力で作り続けるだけです」という光岡氏の思いを、まさに体現している。
大量生産による効率化で利益を追求するのではなく、自分たちが本当に信じられるものだけを心を込めて作り続ける。この光岡自動車の揺るぎない信念が、日本のものづくりの原点を思い出させてくれる。
●光岡自動車

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