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多くの良い宿があり、どこに逗留するか迷うところだが、今、お勧めしたいのは料亭旅館「いちい亭」だ。場所は、まさに隠れ家と呼ぶにふさわしい仙石原の奥座敷。数寄屋造りの館内には五つの和室と、別館の洋室が一つ。規模が小さいからこそできる、訪れた客一人ひとりの心に深く残るもてなしを、というのが、この宿のスタイル。一番の自慢はなんといっても風呂だ。古代檜(ひのき)を使った浴槽は、半露天風呂となっており、心地良く湯に浸(つ)かりながら、晴れた日はもちろん雨や雪の日も乙な景色が楽しめる。注ぐ湯は「姥子(うばこ)の湯」。その名は、箱根の山でクマを相手に相撲の稽古をしたという、あの金太郎こと坂田金時と、その母である山姥の伝説から生まれたもの。修行中に目を痛めた金太郎を案ずる母親に、箱根権現のお告げがあり、それに従い神山の中腹にあるこのあたりの湯で傷を洗ってやったところ目が治ったため、このあたりの湯を「姥子の湯」と呼ぶようになったそうだ。
 良質の湯で身も心もほぐれると、腹が減るというのが人間の贅沢なところ。料亭旅館を名乗る「いちい亭」は、“季節を差し上げる料理"をモットーに、地元・近隣の新鮮な魚介類や野菜をはじめ、日本全国から厳選した食材を使い、日本の四季を食卓に描き出す。丁寧な下ごしらえで素材の味を引き出す、伝統的な日本料理の技術に、改めて舌を巻く……いや、舌鼓を打つことだろう。その姿はまるで絵画のごとく美しく、食べてしまうのが惜しいようだ。季節の移ろいに合わせて変わる食事を楽しみに、この宿を訪れる客も少なくない。
 宿の周辺にはススキで有名な「仙石原すすき草原」や、「箱根ガラスの森美術館」「箱根ラリック美術館」「ポーラ美術館」など、名作を数多く所蔵する美術館も多い。そうした周辺散策で美を堪能し、「いちい亭」で疲れを癒やす。時間の流れがゆるやかになり、心と体のこわばりも、ゆるやかにほどけていく。昔の人もこんな気持ちで、箱根に逗留したのだろう。平成になっても、箱根の魅力は、まだまだ尽きない。
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