PAGE...1|2|3|4
(上)1893(明治26)年に、酒田米穀取引所の付属倉庫として旧庄内藩酒井家により、最上川と新井田川に挟まれた通称「山居島」に建てられた山居倉庫。舟による米の積み下ろしに便利な場所で、12棟の巨大な木造倉庫が連なる様が美しい。最上川側のケヤキ並木が独特の風情を伝えている。
(左)酒田市の飯森山公園内に立つ土門拳記念館。建物の設計は谷口吉生氏によるもの。中庭には、彫刻家のイサム・ノグチ氏の彫刻とベンチ、草月流3代目家元であり映画監督でもある勅使河原宏氏が庭園とオブジェを、それぞれ寄贈している。いずれも土門と親交があった人たちである。
粋が似合う酒田
山形県酒田市。東北の港町というイメージを感じさせない、雅な雰囲気の漂う町である。
 酒田がその栄華を極めたのは、江戸時代のこと。米を始めとする庄内平野の農作物は、最上川を水路として輸送されていた。最上川の河口に位置する酒田は、つまり、東北の豊かな実りが結集する恵まれた条件にあった。さらに1672(寛文12)年、河村瑞賢(ずいけん)が西回り航路を整備すると、酒田は一躍、川船と海船で賑にぎわう東北の表玄関となり、以降、飛躍的な発展を遂げることになった。そして海運業の発展は、殿様をも凌(しの)ぐといわれる、多数の豪商を生み出す。本間家、鐙屋家、加賀屋家に代表されるこうした豪商は、「三十六人衆」と呼ばれ、多くは廻船問屋といった商人たちだ。だが、商売だけでなく政治上の権力をも持ち、酒田の文化発展にまでも大きく貢献した。
 その一つが本間美術館である。高雅な気配を漂わせる美術館は、もとは本間家の別荘であった。酒田の豪商の中でも、本間家は「日本一の地主」とまでいわれ、莫大な富と権力を持つ名家だ。
 本間美術館が江戸・明治期の繁栄の象徴なら、土門拳記念館は、現代の芸術の体現である。世界的写真家である土門拳は、山形県飽海郡酒田町(現・酒田市相生町)出身で、酒田の名誉市民第一号でもある。1983(昭和58)年に完成したこの記念館は、「自分の全作品を郷里酒田市に贈りたい」という土門の意向に応える形で建てられた。土門の全作品約7万点を収蔵した日本最初の写真専門美術館だ。感じるのは、とにかく圧倒的なまでの“完成美"。館内のどの空間を切り取ってもアートになる。
PAGE...1|2|3|4
LINK
CULTURE
粋が似合う酒田
>>2019.2.28 update
CULTURE
鶴岡の伝統野菜が旨い
>>2019.2.28 update
TRAVEL
Long Love with Sakata 受け継がれてきた「粋」
>>2014.6.6 update
STYLE
The Art of HONMA 本間ゴルフ
>>2011.6.30 update
STYLE
名匠誕生 本間ゴルフ
>>2013.7.10 update

記事カテゴリー