羊そのものではなく、高級毛織物ラシャがはじめて官許のポルトガル船で入ってきたのが1555年。
羊の毛を刈り、それを織ってラシャを生産すれば国家の利益になる。なんてことを思いたった平賀源内が、長崎から緬めん羊ようを入手し(長崎のオランダ商館では自給用の羊を飼育)、日本ではじめて飼育と製織をこころみるや、たちどころに羊が「痒い痒い病」にかかり挫折したというのが1771年のことだった。
政府が軍用の毛織をまかなうため、緬羊飼育振興対策に本腰を入れたのは明治になってからだったが、これも失敗。明治後期に大流行した薄地で温かいウール素材モスリンもすべてが舶来品。
第一次世界大戦によって輸入がストップしてはじめて「100万頭増殖計画」を政策とし、紆余曲折をへつつ、第二次大戦前後の食糧難、物不足をあがなう資材としてようやく羊は「花形家畜」に……。目標の100万頭を達成したのが増産のピークとなる1957年だったというから、日本がいかに人類史において特殊であるかがうかがえよう。
羊の毛を刈り、それを織ってラシャを生産すれば国家の利益になる。なんてことを思いたった平賀源内が、長崎から緬めん羊ようを入手し(長崎のオランダ商館では自給用の羊を飼育)、日本ではじめて飼育と製織をこころみるや、たちどころに羊が「痒い痒い病」にかかり挫折したというのが1771年のことだった。
政府が軍用の毛織をまかなうため、緬羊飼育振興対策に本腰を入れたのは明治になってからだったが、これも失敗。明治後期に大流行した薄地で温かいウール素材モスリンもすべてが舶来品。
第一次世界大戦によって輸入がストップしてはじめて「100万頭増殖計画」を政策とし、紆余曲折をへつつ、第二次大戦前後の食糧難、物不足をあがなう資材としてようやく羊は「花形家畜」に……。目標の100万頭を達成したのが増産のピークとなる1957年だったというから、日本がいかに人類史において特殊であるかがうかがえよう。