遊牧民は「羊」の肉から脂肪分をたっぷり摂取でき、寒さをしのぎ、命を護る衣服や住空間のために、羊毛を活用してきました。およそ1万年も前からメソポタミアあたりで家畜化が進んでいましたし、また「未」という漢字があるように中国でも古くから飼育されていました。「羊」と人間との最初の深い関係は、モンゴル、中国、インド、中央アジア、西アジア、中近東、地中海地方にまで広がっていたのです。
それらのどの民族も文化も「羊」を尊重してきましたが、なかでもこの動物を、際立って、信仰にかかわるシンボル、象徴としてきたのが、キリスト教(およびユダヤ教)文化の人々でした。
神の子羊
ヨーロッパの絵画や彫刻で私たちは、数多くの「羊」に出会います。それは野生の獣としての「羊」ではなく、象徴として表されてきた「羊」です。ヨーロッパのキリスト教文化において、「羊」とは、神やイエス・キリストによって導かれる信者を表すのみならず、「犠牲となりながら復活する」イエス・キリストと重ねられてきました。「ヨハネ福音書」では、イエス・キリストが「私は善き羊飼いである」と語ると同時に、イエス自身が世の罪を取り除く「神の小羊(アグヌス・デイ)」であると語られています(図2:アンドレア・デッラ・ロッビア「神の子羊」1487年)。それはなぜでしょうか。
それらのどの民族も文化も「羊」を尊重してきましたが、なかでもこの動物を、際立って、信仰にかかわるシンボル、象徴としてきたのが、キリスト教(およびユダヤ教)文化の人々でした。
神の子羊
ヨーロッパの絵画や彫刻で私たちは、数多くの「羊」に出会います。それは野生の獣としての「羊」ではなく、象徴として表されてきた「羊」です。ヨーロッパのキリスト教文化において、「羊」とは、神やイエス・キリストによって導かれる信者を表すのみならず、「犠牲となりながら復活する」イエス・キリストと重ねられてきました。「ヨハネ福音書」では、イエス・キリストが「私は善き羊飼いである」と語ると同時に、イエス自身が世の罪を取り除く「神の小羊(アグヌス・デイ)」であると語られています(図2:アンドレア・デッラ・ロッビア「神の子羊」1487年)。それはなぜでしょうか。

図2:アンドレア・デッラ・ロッビア「 神の子羊」
1487年(イタリア・フィレンツェ ドゥオーモ博物館)
ルネサンス期のイタリア人彫刻家、アンドレア・デッラ・ロッビアが手がけた「フィレンツェ羊毛組合の紋章」。
1487年(イタリア・フィレンツェ ドゥオーモ博物館)
ルネサンス期のイタリア人彫刻家、アンドレア・デッラ・ロッビアが手がけた「フィレンツェ羊毛組合の紋章」。