
さて、こうして新しい作品が続々と作り出されると、次に必要なのは出来上がった品々を販売する場所だ。吉田は「いい品物を造ると共にその使い手を養成しなくては新興民藝は生長しない」と述べている。実用品である民藝品にとって、使い手を広げることは、資金を得ることと同じくらい重要な意味を持つ。
そこで吉田は1932(昭和7)年に「鳥取民藝振興会」を設立し、鳥取市内に民藝品の販売店「たくみ工芸店」を開店する。さらにその翌年には東京・西銀座に東京店を出店。地方から中央に向け販路を拡大した。この店は今も「銀座たくみ」として営業を続けている。
その後軍医として中国に渡った吉田は、1947(昭和22)年に鳥取に帰郷すると、さっそく「鳥取民藝協団」「鳥取民藝協会」を設立し組織を次々と再構築。そして1949(昭和24)年、「鳥取民藝美術館」が創設され、1958(昭和32)年に耐震耐火の美術館として新築された。これこそが現在も鳥取市内に残る、白壁に浅ノ井瓦の風情ある美術館だ。
さらに1962(昭和37)年には、美術館の隣に「たくみ割烹(かっぽう)店」をオープンする。この店について吉田は「民藝品を使用する機会の最も多い食事の場合を利用して、生活して美を味わう」と語り、民藝品をただ陳列するのではなく、実際に活用し動いている姿を見せるための“生活的美術館"と位置付けた。店で出される料理にも民藝的要素を持たせ、自らが考案した鳥取和牛を使ったしゃぶしゃぶの原形「牛肉すすぎ鍋」を提供。この味は現在も受け継がれている。かくして鳥取民藝美術館、たくみ工芸店、たくみ割烹店が並ぶ民藝コーナーが誕生した。ここを訪れる者は、美術館で品物に触れ、割烹店で実際の使い勝手を確かめ、気に入ったものを工芸店で買うという、民藝品の魅力を五感すべてで堪能できる場所となっている。
また吉田は民藝運動のほか、地元の貴重な文化財の保存運動にも奔走。1954(昭和29)年に「鳥取文化財協会」を設立し、鳥取砂丘の天然記念物指定、仁風閣の保存、湖山池(こやまいけ)の保護など、地域の自然や歴史を守る活動にも尽力した。
驚くべきは、吉田はこういった活動すべてを医師という本業の余暇に行っていたということだ。昼間は耳鼻科医として通常の診療にあたり、夜や日曜にさまざまな活動をしたという。吉田は晩年こう振り返る。
「私にとっては、民藝の心で医者の生活をしているので、二兎でもなく一つなのです。(中略)そういう美しさに日々接触して暮らすことは、人間もまた民藝品のような生活を帯びた人間に形成されるであろうことを信じているのです」
民藝品に宿る、実直で素直な美。その美しさは、自分の信念にただ忠実で無心であった吉田自身の姿にも重なるのである。
そこで吉田は1932(昭和7)年に「鳥取民藝振興会」を設立し、鳥取市内に民藝品の販売店「たくみ工芸店」を開店する。さらにその翌年には東京・西銀座に東京店を出店。地方から中央に向け販路を拡大した。この店は今も「銀座たくみ」として営業を続けている。
その後軍医として中国に渡った吉田は、1947(昭和22)年に鳥取に帰郷すると、さっそく「鳥取民藝協団」「鳥取民藝協会」を設立し組織を次々と再構築。そして1949(昭和24)年、「鳥取民藝美術館」が創設され、1958(昭和32)年に耐震耐火の美術館として新築された。これこそが現在も鳥取市内に残る、白壁に浅ノ井瓦の風情ある美術館だ。
さらに1962(昭和37)年には、美術館の隣に「たくみ割烹(かっぽう)店」をオープンする。この店について吉田は「民藝品を使用する機会の最も多い食事の場合を利用して、生活して美を味わう」と語り、民藝品をただ陳列するのではなく、実際に活用し動いている姿を見せるための“生活的美術館"と位置付けた。店で出される料理にも民藝的要素を持たせ、自らが考案した鳥取和牛を使ったしゃぶしゃぶの原形「牛肉すすぎ鍋」を提供。この味は現在も受け継がれている。かくして鳥取民藝美術館、たくみ工芸店、たくみ割烹店が並ぶ民藝コーナーが誕生した。ここを訪れる者は、美術館で品物に触れ、割烹店で実際の使い勝手を確かめ、気に入ったものを工芸店で買うという、民藝品の魅力を五感すべてで堪能できる場所となっている。
また吉田は民藝運動のほか、地元の貴重な文化財の保存運動にも奔走。1954(昭和29)年に「鳥取文化財協会」を設立し、鳥取砂丘の天然記念物指定、仁風閣の保存、湖山池(こやまいけ)の保護など、地域の自然や歴史を守る活動にも尽力した。
驚くべきは、吉田はこういった活動すべてを医師という本業の余暇に行っていたということだ。昼間は耳鼻科医として通常の診療にあたり、夜や日曜にさまざまな活動をしたという。吉田は晩年こう振り返る。
「私にとっては、民藝の心で医者の生活をしているので、二兎でもなく一つなのです。(中略)そういう美しさに日々接触して暮らすことは、人間もまた民藝品のような生活を帯びた人間に形成されるであろうことを信じているのです」
民藝品に宿る、実直で素直な美。その美しさは、自分の信念にただ忠実で無心であった吉田自身の姿にも重なるのである。