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よしだ・るい
高知県生まれ。シュールアートの画家としてパリを拠点に活動後、イラストレーターに転身。1990年代からは酒場や旅をテーマに執筆を始める。俳句愛好会「舟」を主宰。酒場と酒場をめぐる人間模様をテーマにした著作多数。2003年からBSTBSの人気番組「吉田類の酒場放浪記」に出演中。
かつては、明暦3(1657)年に江戸の大半を焼失した明暦の大火があり、復興に当たって江戸へ集められた労働者たちの食を満たすため、寿司やそばといった外食産業が大流行した。戦後の大衆酒場も、同様の発展型だと吉田氏は語る。
 だから、城東エリアを中心としたいわゆる下町が中心で、東北地方出身の経営者も多い。カウンターがコの字型をしているのは、自分の家の茶の間のようなつもりで来店した人たちに、できるだけ早く料理を出せるようにとの配慮から造作されている。もう一つの特徴は、単身で東京へやってきた人たちが、同じカウンターで肩を寄せ合って、酒を酌み交わせられる。
「まだ、ビールや一級酒が庶民にとって高嶺の花だった昭和30(1955)年代。酒は安価な焼酎がベースだった。料理も、モツ焼きや家庭料理が中心。それを店主やその妻たちが、郷里の実家で教わったように味付けする。そんな郷土料理を懐かしんで集う人々も多い。そのように大衆酒場は広がっていったのです。そこで出合うさまざまなドラマが僕には面白く感じられた」
 大衆酒場と居酒屋は違うタイプの店だと吉田氏は言う。
 例えば、酒の飲み方にこだわる店で、やたら食べ物を注文する客に、
「ここは酒を飲む店だから、腹が減っているなら他で食ってきてくれ」と言った店主がいたらしい。
 だが、食事メニューの多様な大衆酒場にそんな窮屈さはない。
「地方は、おおむねお料亭のような座敷文化がメーンで、本来、東京の下町のような敷居の低い大衆酒場は少なかったようです。地域によっては、女性の姿を見かけない飲み屋もあります」
 でも、その様子がだんだん変わってきて、男女共に和気あいあいとほろ酔う光景が一般化してきたと感じる、と吉田氏。全国津々浦々を回っての感想だそうだ。だとしたら、それこそ、10年間、人気番組として放映されている「吉田類の酒場放浪記」(BS‐TBS)で、人が集い飲む楽しさを紹介してきた吉田氏の功労かもしれない。
 いい大衆酒場の条件を挙げてくださいと頼んでも、「店の数だけ差異があっていいのです」と吉田氏。また、新規の酒場に対しても、「こうあるべし」という注文はあえてないという。むしろそこが酒場を愛する吉田類氏のこだわりなのだろう。
 見ると、撮影用に用意した酒が減っている。そして、「飲むと楽しくてしようがない」という言葉が返ってきた。大衆酒場の魅力を思わせる、誰をもとりこにする笑顔と共に……。
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