


(上)灯篭堂の奥にひっとりと佇む弘法大師御廟。この御廟橋から先は聖域なので、撮影禁止となる。中には今もなお、弘法大師・空海が、人々の救済のために生き続ける。(下左)一の橋から奥之院までの約2キロの参道には、何百年も経た老杉が高くそびえ、数十万を超える各時代の名立たる人々の供養塔が建ち並ぶ。こちらは豊臣秀吉の供養塔。(下右)新しく建てられる供養塔の中には、有名企業のものも多い。UCCらしいコーヒーカップの供養塔だけでなく、福助人形、ロケットをかたどったものなどデザインに富む。高野山では、供養塔や墓石もとても自由度が高いのだ。
“真のパワースポット”奥之院
日本仏教の一大聖地である高野山は、弘法大師・空海の、国家安泰や世界平和、また修行者のために、人里離れた山奥に真言密教の根本道場を建立するという願い叶い、816年(弘仁7年)に嵯峨天皇からこの地を賜ったのだ。そして10世紀ごろからは、弘法大師が入定した(生死を超越して、衆生救済のために永遠に瞑想に入る)という奥之院に、弘法大師が今もなおここで生き続け、世の中の平和と人々の幸福を願っているという「入定信仰」が生まれた。入定信仰も広まり、また高野山を弥勒浄土(みろくじょうど)とする信仰や阿弥陀浄土(あみだじょうど)とする信仰と合いまって、1000年以上も前から人々の信仰と尊敬を集め発展してきた。この「入定信仰」は、現代もなお信仰され続けており、中心聖域である奥之院 弘法大師御廟では、毎朝6時と10時30分の2回、僧侶が弘法大師に食事を届ける儀式が厳かに行われている。
もちろん、奥之院にも実際に詣でることができる。最強のパワースポットとも言える奥之院までの約2キロの参道には、樹齢数百年という杉の巨木が連なり、苔むした石碑や墓塔が荘厳な雰囲気を醸し出す。見逃せないのは、数十万基も並ぶ供養塔や墓石。歴史に名を残す戦国武将や諸国大名ら、誰もが知る〝有名人〟のものばかり。また、歴史上に名を残す人物の中には何と、浄土宗の開祖・法然や、浄土真宗の宗祖・親鸞の供養塔まである。
これには、宗教・宗派をも超えてすべてを包み込む、高野山の〝包容力〟を感じずにはいられないだろう。現代に建てられた供養塔に目を向けると、会社のキャラクターなどをかたどったものがあるなど、とても自由なのだ。宗派をも超える包容力と、開かれた自由さが、世界的にも希有な聖地である証なのである。
もちろん、奥之院にも実際に詣でることができる。最強のパワースポットとも言える奥之院までの約2キロの参道には、樹齢数百年という杉の巨木が連なり、苔むした石碑や墓塔が荘厳な雰囲気を醸し出す。見逃せないのは、数十万基も並ぶ供養塔や墓石。歴史に名を残す戦国武将や諸国大名ら、誰もが知る〝有名人〟のものばかり。また、歴史上に名を残す人物の中には何と、浄土宗の開祖・法然や、浄土真宗の宗祖・親鸞の供養塔まである。
これには、宗教・宗派をも超えてすべてを包み込む、高野山の〝包容力〟を感じずにはいられないだろう。現代に建てられた供養塔に目を向けると、会社のキャラクターなどをかたどったものがあるなど、とても自由なのだ。宗派をも超える包容力と、開かれた自由さが、世界的にも希有な聖地である証なのである。