
氷川神社 渋谷区で最古の神社である氷川神社。現在の拝殿は1938(昭和13)年に遷座したもの。1945(昭和20)年の空襲を逃れ、今に姿をとどめている都内でも有数の神社建築となっている。

青山界隈をめぐりたくなる物語
Photo Masahiro Goda
Text Nile’s NILE
Text Nile’s NILE
いつの時代も、どんな分野でも、その先端をゆく街、青山。トレンドに敏感な人々が行き交うのも事実だが、いまだに驚くような広さがあり、緑が多い神苑があちこちに残っている。そこは豪族の居城だったり、大名家ゆかりの土地だったり……。
青山、渋谷界隈は、実に起伏に富んだ地形だ。それもそのはず、渋谷川、宇田川を始め、青山学院大学の構内を水源とする2キロ弱の渋谷川の支流、いもり川もあるというのは驚きである。現在は、その多くが暗渠となっているためわかりにくいが、高い場所から低い場所へと流れる川が複数あるということは、それだけ高低差があるということ。上ったと思ったら、また下っての、青山界隈の散策が面白い。
平安時代末期からは、この地を本拠としていた武将の渋谷氏が現在の金王八幡宮がある場所を居城にしていたと伝わる。そして源義家が後三年役の勝利は河崎基家(渋谷氏の祖)が崇拝する「八幡神の加護なり」としたため、基家は居城だった渋谷城内に1092(寛治6)年に金王八幡宮を創建したという。そして基家の子、重家が堀河天皇から渋谷の姓を賜り、これが渋谷の地名の発祥となった。
神社は渋谷、寺は青山
東京の大きな谷の一つ、渋谷から宮益は武蔵野台地を浸食する渋谷川(旧・穏田川)と宇田川の合流地点に作られた“谷底の街"だ。平安時代末期からは、この地を本拠としていた武将の渋谷氏が現在の金王八幡宮がある場所を居城にしていたと伝わる。そして源義家が後三年役の勝利は河崎基家(渋谷氏の祖)が崇拝する「八幡神の加護なり」としたため、基家は居城だった渋谷城内に1092(寛治6)年に金王八幡宮を創建したという。そして基家の子、重家が堀河天皇から渋谷の姓を賜り、これが渋谷の地名の発祥となった。