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因島の白滝山にて、五百羅漢像から瀬戸内海と島々が織り成す風景を見渡す。頂上には村上海賊の因島村上氏の当主、村上吉充が観音堂を建立したとされている。
祈りと海賊の街 尾道
Photo TONY TANIUCHI
Text Rie Nakajima
坂の細道から瀬戸内海を望む尾道は、江戸時代に北前船で栄えた寺町だ。穏やかな奥ゆかしさの中に、旅人を迎え入れる港町ならではの開放的な空気が薫るこの街は、志賀直哉を始め、多くの作家や文化人たちをひきつけてきた。

海に残された、海賊どもの夢の跡
エーゲ海と並ぶ、世界有数の多島海である瀬戸内海。島の数は700を超え、島というより大小の森が海に浮かんでいるような風景は、特有の美しさをたたえている。海は凪いで見えるが、実は船をのみ込むほどの激しい潮流もある。昔ながらの手漕ぎの船で、入り組んだ入り江を持つ無数の島々の間を、潮流を読みながら航海するのは至難の業だったろう。だからこそ、この海を知り尽くした強者どもが強大な力を誇っていた。

 海賊と聞くと、船を襲う無法者というイメージがあるだろう。だが、村上海賊は、むしろそうした無法者を取り締まる海の権力者であった。フロイスは瀬戸内海を航海するにあたり、村上海賊から絹の旗と署名を渡されている。村上海賊は通行料を徴収する代わりに、この許可証を渡すか、水先案内をすることで船の安全を保障した。また、大島の大山祇神社には、村上海賊が武運を祈って神に奉納したという連歌が残る。香や茶にも通じ、高い教養を備えた文化人としての側面も持つなど、複数の顔を併せ持つ民であったようである。
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