
時代は流れても、徳島の街中で育った女性たちの多くは、暇さえあれば、三味線で小唄や端唄などの俗曲を爪弾いたり、ぞめき三味線を演奏したりしていた。女性のたしなみとして、弾く手を持つことが当たり前となっていた徳島では、絶えずこうした庶民の“お稽古事文化"に支えられ、富街は芸達者な芸妓がいる花街として130余年在り続けた。昭和初期の最盛期には、富田町検番には200人を超える芸妓が所属していた。しかし、時代が平成に変わる頃、富田町検番には、芸妓が2、3人しかおらず、1人辞めれば検番は成り立たない状態だった。1989(平成元)年に富田町検番廃止。1996(平成8)年にその跡地は、複数の飲食店が入るKENBANビルとなった。