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芸を磨き女はより輝く
徳島市大道生まれの10歳の少女が1917(大正6)年、富田町の清元師匠に弟子入りをした。この少女こそが、後に「阿波よしこの」の名手となるお鯉(本名・多田小餘綾)さんである。この時代、富街の芸妓衆の大半は、家娘で占められていた。幼い頃から芸を磨き、自分の得意とする芸を生業(なりわい)とした。だから富街の芸妓は皆、その仕事に高い誇りを持っていた。こうして芸達者な芸妓ばかりがいる富街では、季節を問わず〝阿波の盆踊り〞を舞うようになり、上客たちの間で大ブームとなっていった。1949(昭和24)年の暮れに、お鯉さんは栄町に料亭「言問」を開業。女おかみ将として店を切り盛りする傍ら、「阿波よしこの」の第一人者として、徳島の地で阿波芸能・文化の継承、発展に貢献。2008年に100歳で亡くなるその日まで、生涯現役を貫いた。
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