


生き佛となり、永遠の存在として人々の救済を続ける弘法大師への信仰が盛り上がりをみせたのは平安時代後期。治安3年(1023)、藤原道長の参詣を契機に、大師が入定した奥の院は天下の霊場として知られるようになり、同時にその近くに葬られることが浄土への近道であるとの信仰が広まったという。天皇家をはじめ、大名や一般市民に至るまで、御廟近くに埋葬納骨して供養塔を建立することがステイタスとなり、特に豊臣秀吉の高野山への篤い寄進の影響から、全国の大名たちも競って立派な霊廟を築くようになった。こうして徳川家や、織田信長、武田信玄・勝頼、上杉謙信・景勝、伊達政宗など、歴史にその名を残した大名や、浄土宗の開祖である法然、その弟子であり浄土真宗の開祖の親鸞、松尾芭蕉や初代市川團十郎など、ここ奥の院では、今なお国籍や階層、宗教宗派を超えてあらゆる人々の墓碑や供養塔などが建てられている。弘法大師空海のそばで供養を受け、永遠の魂と心の安息を得たいという願いは、今も昔も変わらない。
問い合わせ 高野山 永代供養事務局 フリーダイヤル: 0120‐5832‐94 TEL: 03-3275-0140 URL: http://www.kouyasaneitaikuyou.net/