
猿田彦命(さるたひこのみこと)を祀る男嶽(おんだけ)神社。明治時代までは男岳全体が御神体となっており、入山が許されていなかった。祭神にちなんで200 を超える石猿が奉納されているが、昔は石牛が多かったという。
内海(うちめ)湾にぽつんと浮かぶ島と小さな鳥居。小枝すら持ち帰ることが許されていない、島全体が神域である小島(こじま)神社だ。島へ渡ることができるのは、潮が引き参道が姿を現す干潮の時のみである。この場所は400年ほど前に神様が祀られたとされており、今でも壱岐神楽といった神事が厳かに執り行われている。
この壱岐神楽も島独自の文化として今に伝わる。各神社の祭礼の際に舞われる採物(とりもの)神楽の一種であり、神社の拝殿あるいは神前の斎場に神楽座を特設して行われる。1435(永亨7)年には「神楽舞人数の事」と題して25人の神楽人の名前が記録されており、古くから壱岐神楽が舞われていたことは明確だ。さらに特徴的なのが、神職だけで約700年もの間、演舞や演奏が伝承されてきたこと。こうした神楽本来の形が継承されてきたとして、国の重要無形民俗文化財に指定されている。島内のあちこちの神社の例祭などで壱岐神楽が奉納される。年間約200回も行われるというから驚きだ。
この壱岐神楽も島独自の文化として今に伝わる。各神社の祭礼の際に舞われる採物(とりもの)神楽の一種であり、神社の拝殿あるいは神前の斎場に神楽座を特設して行われる。1435(永亨7)年には「神楽舞人数の事」と題して25人の神楽人の名前が記録されており、古くから壱岐神楽が舞われていたことは明確だ。さらに特徴的なのが、神職だけで約700年もの間、演舞や演奏が伝承されてきたこと。こうした神楽本来の形が継承されてきたとして、国の重要無形民俗文化財に指定されている。島内のあちこちの神社の例祭などで壱岐神楽が奉納される。年間約200回も行われるというから驚きだ。