日本に現存する最古の歴史書である『古事記』の序章には、有名な「国生み神話」がある。これは伊邪那岐(イザナギ)と伊邪那美(イザナミ)が夫婦となり、日本となる八つの島を作ったという神話だ。
その中で5番目に生まれたのが、ここ伊伎島(壱岐島)である。
『古事記』では天比登都柱という別名を持つ。これは「天上に達する一本の柱」であり、神話学では世界の中心を表し、天地をつなぐ“交通路"を意味するという説がある。
つまり、壱岐島は天と地をつなぐ架け橋だったと考えられているのだ。また、こんな伝説も残る。
伊伎島はあちこちへ動き回る“生き島"だったので、流されないようにと、神様が島をぐるりと囲むように8本の柱を立てつなぎ止めた。そのうちの2本が観光スポットとして有名な猿岩(さるいわ)と左京鼻(さきょうばな)である。
日本の黎明期から登場する壱岐は、実に神々と縁が深い場所なのだ。それを物語るように、南北約17㎞、東西約15㎞の小さな島のいたるところに、神社や祠が点在する。島内で神社庁登録をしている社が150以上あり、加えて発祥は不明だがいつの間にか自然の中で見いだした神々を海辺や山奥に祀(まつ)ったとされる小さな祠が無数にある。
その中で5番目に生まれたのが、ここ伊伎島(壱岐島)である。
『古事記』では天比登都柱という別名を持つ。これは「天上に達する一本の柱」であり、神話学では世界の中心を表し、天地をつなぐ“交通路"を意味するという説がある。
つまり、壱岐島は天と地をつなぐ架け橋だったと考えられているのだ。また、こんな伝説も残る。
伊伎島はあちこちへ動き回る“生き島"だったので、流されないようにと、神様が島をぐるりと囲むように8本の柱を立てつなぎ止めた。そのうちの2本が観光スポットとして有名な猿岩(さるいわ)と左京鼻(さきょうばな)である。
日本の黎明期から登場する壱岐は、実に神々と縁が深い場所なのだ。それを物語るように、南北約17㎞、東西約15㎞の小さな島のいたるところに、神社や祠が点在する。島内で神社庁登録をしている社が150以上あり、加えて発祥は不明だがいつの間にか自然の中で見いだした神々を海辺や山奥に祀(まつ)ったとされる小さな祠が無数にある。


(上)八幡(やわた)半島のなだらかな草原を進むと、玄界灘に面して切り立った総延長約1㎞にも及ぶダイナミックな海蝕崖(かいしょくがい)、左京鼻に行き着く。この辺りで牛の放牧が見られる。(下)島の東側、芦辺町の八幡浦に立つ六体の地蔵は、腹の部分が丸くえぐられていることから「はらほげ地蔵」と呼ばれている。大潮の満潮時には胴体まで海水に漬かる珍しい光景を見られる。