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30年かけて築いた
ダンサーとしてのたたずまい
ダンサーとしてのたたずまい
クラシックとコンテンポラリー・ダンスで成功を収めた東京バレエ団時代。名だたるコリオグラファーや世界的ダンサーとの出会いは、スターダンサー首藤康之の運命のように感じられる。「他のアーティストに対する好奇心は強いです。人のダンスや作品を見て強烈に引かれることがあるんです」。東京バレエ団退団と、それまでのレパートリー封印の宣言(2004年)は世界を驚かせたが、彼にとっては「ダンスで新たな世界を模索するための自然な一歩」だった。その後は映画や演劇にも出演するなど、表現の場を広げている。今世界で最も注目されるコリオグラファー、シディ・ラルビ・シェルカウイ氏や小野寺修二氏との共演もダンサーとして大きな収穫だったようだ。「僕にとってはどんな表現もダンスで、ダンスの中での区別はありません。それで新たな出会いがあったし、自分の踊りに対する情熱を実感しています。出会った相手の考え方を知ることで、コリオグラファーとして伝えたいことやダンサーとしての動きを理解できる。それは人生を共有すること。すごく楽しいです」。
モダン・ダンスでも名を馳せ、「スターダンサー」の名をほしいままにする首藤氏。その経歴は文字通りエリートだ。しかし、映画の中で共演者たちは敬愛を込めて、彼を「不器用なダンサー」だと言う。その理由の一つが、新しい振り付けの会得に時間を掛けること。「そう言ってくれてうれしいです。僕のことをよく分かっている人たちですから(笑)。一つ一つの積み重ねが大きな結果につながる、というのが自分の信条。もちろんダンスには、瞬間的に感じて表現する部分もあるんですけど。その両方にきちんと向き合って咀嚼し、焦らず楽しみながらやっていきたいと常々思っています」。マインドををオープンにすることもその一つ。
「正直、人とのコミュニケーションは苦手なことでした。オープンになろうと思ったきっかけは色々あります。大けがをしたことで、自分にニュートラルになることができたし、フリーランスになったことも大きかったかもしれない。東京バレエ団時代は、自分のダンスに『これでいいか?』と自問自答の日々で余裕がなかったのですが、今は少しずつ自分のやっているダンスを信じられるようになって。人とのコミュニケーションも自然にとれるようになってきたんです」。そうした30年の積み重ねの全てが彼の言う「ダンサーとしてのたたずまい」なのだ。その姿勢はストイックなどという言葉では収まらず、一心不乱で神々しくさえもある。
モダン・ダンスでも名を馳せ、「スターダンサー」の名をほしいままにする首藤氏。その経歴は文字通りエリートだ。しかし、映画の中で共演者たちは敬愛を込めて、彼を「不器用なダンサー」だと言う。その理由の一つが、新しい振り付けの会得に時間を掛けること。「そう言ってくれてうれしいです。僕のことをよく分かっている人たちですから(笑)。一つ一つの積み重ねが大きな結果につながる、というのが自分の信条。もちろんダンスには、瞬間的に感じて表現する部分もあるんですけど。その両方にきちんと向き合って咀嚼し、焦らず楽しみながらやっていきたいと常々思っています」。マインドををオープンにすることもその一つ。
「正直、人とのコミュニケーションは苦手なことでした。オープンになろうと思ったきっかけは色々あります。大けがをしたことで、自分にニュートラルになることができたし、フリーランスになったことも大きかったかもしれない。東京バレエ団時代は、自分のダンスに『これでいいか?』と自問自答の日々で余裕がなかったのですが、今は少しずつ自分のやっているダンスを信じられるようになって。人とのコミュニケーションも自然にとれるようになってきたんです」。そうした30年の積み重ねの全てが彼の言う「ダンサーとしてのたたずまい」なのだ。その姿勢はストイックなどという言葉では収まらず、一心不乱で神々しくさえもある。