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役員用の会議室にある辰野登恵子の油彩画《 March-5-2003 》2003 年。重要な会議が開かれる場に、現代の日本モダニズム絵画をリードし続ける辰野氏の作品が似つかわしい。
ビジネスとアートの融合
資生堂が薬から化粧品へと事業の中心をシフトさせたのは、有信を継いで1915(大正4)年に経営を任された三男・信三である。既に有信の時代、明治 30 年代に、「資生堂の赤い水」の名で評判を呼んだ高等化粧水「オイデルミン」の発売など、化粧品事業に取り組んでいたし、資生堂パーラーの前身である「ソーダファウンテン」をオープンさせ、ソーダ水やアイスクリームの製造・販売もしていたが、後に信三がこれらを新事業として本格化させた格好だ。
 特筆すべきは、信三が社長就任の翌年に意匠部(現・宣伝制作部)を発足させたこと。デザインに軸足を置いた宣伝活動を開始するとともに、その 3 年後の 1919(大正8)年には当時の化粧品部(現・SHISEIDO THE GINZAの場所)の 2 階に若手芸術家に発表の場を無償で提供する陳列場(現・資生堂ギャラリー)をオープンさせている。一方で、意匠部とともに試験室(現・リサーチセンター)を創設し、品質を追求する体制を整えた。これら部門は、「ビジネスとアートの融合」を目指す経営戦略の表れと見ることができる。
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