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霧に包まれた「豊穣の国」奥丹波
Photo Masahiro Goda Text Junko Chiba
テノワールの誘い
京都の背後に広がる丹波。古えより風と水と土が調和する肥沃な土地として、「四神相応の地」と讃えられた都の穀倉であった。この豊穣の地、丹波に生きる人々は、時候折々の地の幸を食し、日本海と瀬戸内の海の幸を料理し、自然の恩恵に与り続けてきた。丹波とはどんな土地なのか。豊富な食材が生み出される丹波の秘密を探る旅に出た。

 列車で丹波に向かうと、大阪からだと三田、京都からだと亀岡の辺りから、霧が深まっていく。その霧に潜むように広がるのが丹波。さらにその奥には、大きな壁を成す山々の間に沈み込む“地面の割れ目"のような地域、奥丹波がある。ここ丹波市氷上町石生では、「日本の背骨」と呼ばれる南北に連なる山々が寸断されているため“地面の割れ目"となっている。今回、この不思議な地形が広がる奥丹波を旅した。
 ここには、南の瀬戸内海からの暖かな風と、日本海側の雪国からの冷たい風が吹き込む。その両方の風が運ぶ温度差の激しい空気がぶつかって、霧を発生させる。
 現在の行政区分で言う丹波市は、2004年に兵庫県氷上郡の6町――柏原町・春日町・市島町・青垣町・氷上町・山南町が合併して誕生した新しい市である。これとは別に「丹波」という地名にフォーカスした時、大きく二つに分けられる。丹波市と篠山市の「兵庫丹波」と、亀岡市・南丹市・船井郡京丹波町・綾部市・福知山市を擁する「京丹波」だ。さらに時代を遡れば、丹波に兵庫も京都もなく、但馬や丹後などを含む広大な国だった
 丹波は京都の朝廷にとって、亀岡や篠山という城下町の背後に広がる豊かな懐深い土地であった。米がたくさんとれる穀倉としての価値だけでなく、脅威となる日本海の方の勢力を牽制する意味でも、要になるポジションだ。実際、朝廷は丹波を“特別扱い"しており、宮中でもイチバン偉い人の赴任場所と各付けていた。このことは、奥丹波においしいものが多いこととも関係する。なにしろ“朝廷の食事"を再現するようなものだから、品質の高い食材を供さなければならない。もともと肥沃な土やきれいな水、朝晩の寒暖差など、作物に良い影響を与える要素が揃い「何を作ってもおいしくできる」土地ではあるが、一層の品質向上を目指して努力を続けたに違いない。
 もちろん今日の丹波にも、この地でしかとれない一級品を作り続けている人がいるのだ。次のページではそんな人たちを紹介しよう。
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