
今日ではエコな時代に即した都市交通改革の具現例として
世界的に注目を集める存在だが、復活までの道のりは紆余曲
折に満ちたものだった。大気汚染が深刻なパリでは、夏場に光
化学スモッグ警報がたびたび発令され、市民の日常生活に深
刻な問題をもたらしてきた。大気汚染の元凶は当然ながら自
動車の排気ガスだ。1990年代からは行政的な解決策として、光
化学スモッグ警報発令時の特別条例として自動車通行量の制
限がとられた。通行車輛をナンバープレートの末尾番号によ
って規制するというものだった。一回目の光化学スモッグ警
報発令時は偶数番号の車輛、二回目は奇数番号の交通規制、
という内容だ。しかしながら、代替の輸送機関が整備されてお
らず光化学スモッグ自体が不定期に発生する現象だというこ
ともあり、付け焼き刃的な行政側の政策に市民の不満は頂点
に達していた。このような経緯を経て導入されたのが市電で
あった。