
あるコーヒーセットとの出会い
「富士山に桜という絵柄から日本のものであることは明らかでしたが、私は目にしたことのないものでした。肌
は柔らかな乳白色。金や赤、緑などの彩色が施されているのに派手すぎず、気品がある。デザインも、たとえばポ
ットの注ぎ口や持ち手など細くて優雅。まさに体の中を電気が走るような衝撃でした。これは何なのだと店主
に尋ねると、薩摩焼だったのです」。薩摩焼とは、豊臣秀吉の時代、朝鮮の陶工たちが薩摩藩藩主 島津義弘の保
護の下で発展させた陶磁器である。「白もん」と呼ばれる豪華絢爛な色絵錦手の時期と、「黒もん」と呼ばれる雑
器に分かれるが、寺嶋氏の心を捉えたのは前者。島津藩が1867年のパリ万博に出品すると、ヨーロッパの人々を
たちまち虜にし、世界に「SATSUMA」の名を轟かせたものだ。後にヨーロッパに起こったジャポニスムに大きな影
響を与えたと言われている。