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(上)1982年春夏コレクションのデッサン。(C) Antonio Lopez et Juan Ramos/(左下)オートクチュール春夏コレクションのデッサン。(C)1998 Archives Valentino(右下) デッサンの見事な実現。(C)Archives Valentino c Jean Tholance
果てしない野望と発展
発展と多様化のため、デザイナーはライセンスの増殖という新戦略に順応していった。Valentinoも例外ではなく、バック、ハンカチ、靴、ネクタイと、アクセサリー類にまで及び、"V"の刻印を刻んでいく。「一時は日本だけでも40以上のライセンスが存在しました。ライセンスは資金をもたらしますが、続行は不可能だと、すべてを手中に取り戻さねばならないと、数年後に理解しました」と、右腕ジャンメッティーは振り返る。88年、すでに所在していたMignanelli宮殿3500平方メートルを全面占拠し、本社拡大が完成。残された野心は、オートクチュール・コレクションのパリ開催のみとなる。標的は、ローマまでは来ない海外プレスの獲得。イタリアで最も偉大で著名なデザイナーが、オートクチュール発表の場にパリを選ぶという、イタリアへの《勇気ある裏切り行為》と称される中、89年、パリ、エコール・デ・ボーザルにて、初のコレクションが断行された。
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