


(左)旧東ヨーロッパの国々で見ることができる「市街地」のピクトグラムも、東ベルリンで発見できた。(上)東ベルリンで見かけた歩行者用信号。ハットを身につけた三等
身の人物が採用されている。(下)東ベルリン独自のセンスは西ベルリンのデザイナーたちにとって衝撃的なインパクトを与えたという。
異質なふたつのデザインを内包した魅惑の街
世界で最もピクトグラムウオッチングに適した街は?という質問に、公共デザインに興味を持つ多くの人が
「ベルリン」と回答するだろう。他では見ることができない、この街だけの歴史を持っているのだから。ピクトグ
ラムは東京オリンピック以降に発達したデザインで、その当時はご存知のとおり東西冷戦の真っただ中だっ
た。1989年にベルリンの壁が取り壊されるまで、現在のベルリン市は西ドイツに属したボンと東ドイツに属した
ベルリンに分断されていたのである。資本主義と社会主義、西欧と東欧、交わることのなかったイデオロギーや
価値観、文化がいま、ひとつの街に混在し、凝縮されているのだ。日本人は、旧西側諸国のデザインと何十年もか
けて慣れ親しんできた。その西ベルリンのデザインと、最近まで見ることもなかった社会主義から生まれた東
ベルリンのデザインを見比べる散歩は、現在のベルリンでしか実現できない至福の時間なのである。