
(左)回を重ねるごとにピクトグラムによる案内が充実。アテネ
五輪では、色へのこだわりを見ることができた。


(中央)チケット販売所のピクトグラムも、各所によって大きく異なるデザインのひとつ。(右)アテ
ネから直通電車で5時間もかかるパンテサリコ競技場までの道のりも、ピクトグラムの効果でス
ムーズだった。
日本から芽生えたピクトグラムの活用意識
ピクトグラムの歴史を紐解けば、その利用頻度が飛躍的に向上したターニングポイントの存在に
気付く。1964年の「東京オリンピック」である。当時の日本人は英語を話せる人が少なく、海外の
人々に迷うことなく観戦を楽しんでもらう方法が、運営側の悩みのタネとなっていた。その苦境を
救ったのがピクトグラムである。言語の壁という難問をクリアする主導的な役割を担ったのが、
東京オリンピックのデザイン総合プロデューサーだった故・勝見勝氏。1960年の世界デザイン会
議でも中心的推進者として活躍し、ピクトグラムの可能性にいち早く着目した人物として知られ
ている。氏が率いたデザイングループは、競技種目をピクトグラムで表示。世界初となったこの試
みは、競技での日本躍進とともに運営面での成功例として今も語り継がれている。美しさと機能
性を併せ持つピクトグラムが世界に広まったきっかけは、あの東京オリンピックだったのだ。